チューリングマシンと限定合理性 : 「行動ゲーム理論入門」を読んだ

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この本「行動ゲーム理論入門」はたまたま本屋で見かけてパラパラと見ていたら、経済学の本にもかかわらず「チューリングマシン」だとか「強化学習」だとかいう一見経済学とは関連の薄そうな単語があったので、興味深いな、と思って脊髄反射的に購入した。僕はこの分野は全く知らない状態でこの本を読み始めたのだけど、非常に刺激的な本だったので記憶が鮮明なうちに書いておくことにする。

ゲーム理論

ゲーム理論をすこしかじったことがあればご存知のように

  • ジョン・ナッシュが「ナッシュ均衡」という概念を提唱して、
  • 不動点定理を使って混合戦略ナッシュ均衡のの存在を証明した、

というのは有名すぎる事実。映画「ビューティフル・マインド」の主人公としてご存じの方も多いと思う。

「行動ゲーム理論入門」はナッシュ均衡のその先の展開について非常にわかりやすく書かれた本ということになる。以下、この本のさわりの部分を自分なりに要約してみる。

合理的エージェントの世界

そもそも、古典的な経済学に出てくる経済活動をする人たち(エージェント)は「合理的」であるとされる。彼らは合理的なスーパーマンなのでゲームが与えられたら、ただちにナッシュ均衡を「計算」して、自分のとるべき行動を決定する。

これが何を意味するのか。例えば 6×6 オセロ[1]のような「ゲーム」を考えてみよう。これは実は後手必勝になることが証明されている。つまり、合理的なエージェント同士が(お金をかけて)対戦すれば、かならず後手が勝利することを意味している。

計算資源の有限性

問題がどこにあるのか?といえば、 6×6 オセロの証明はコンピュータを二週間走らせ続けることで証明された(1994年)、ということだ。これは「ふつうの」人間業なのだろうか?という疑問からこの本はスタートする。

この疑問を一般化しよう。原理的には解(最善手)が存在するけれども、それを求めることがチューリングマシンの意味で不可能となるような問題、ようするに「アルゴリズムを構成することができない問題」に対しても、最善手を見つけてしまうような「彼ら」は経済活動を行う人間のモデルとして妥当なのだろうか?

このような考察から、人間=エージェントは神のごとく無限の計算能力をもつものとしてではなく、有限の計算資源を持った「限定合理的なエージェント」としてモデル化されるべきだ、と「結論」されることになる。こういう論理展開にはしびれまくる。

ただし、個人的な意見として、人間の計算能力をどの程度か、と仮定するのは一般論としては非常に微妙な問題も含んでいる思う。チューリングマシンと高々同程度だ、という考え方は(特に根拠はないが)個人的には妥当というか、むしろ目からウロコが落ちる感じがしたが、一部の人々にとっては議論を呼びそうな内容かもしれない。

アレゲな人たちだけではなく、まっとうな科学者の間でも意見がわかれそうだ(とはいえ「脳とコンピュータの違い」によればチューリングマシンとみなすことにはそれなりの妥当性がありそうでもあるが)。

その後の展開

この後、話は均衡に吸い込まれるための力学系の話や、さらにエージェントの行動決定が強化学習/信念学習によって学習されるケースの考察など興味深い話題を経て、非効率な均衡を制度の設計によって解消するための方法論である「メカニズムデザイン」まで話は及ぶ。どの章も非常に平易に書かれていて、かつ興味深いものばかり。

まとめ

ということで、知的好奇心を最大限に満足する本でした。この本が経済学者にとって有益かどうかは(僕は経済学者じゃないから)わからないけど、人の行動に日々頭を悩ます企業のマーケティング担当者とか、ゲームデザイナーとか、スマホアプリ開発者など「人間の行動に深く関わる技術者」が読んでみてもいいんじゃないだろうか。得るものは必ずあると思う(ただし、ある程度理論が好きな人に限るとは思うが)。

最後に余談というかメモ。世の中の現実的な問題は均衡から逸脱して極めて複雑でダイナミックな挙動をしめすような例が少なくない。例えば

  • Google と SEOスパマーとのイタチごっこ
  • 予測不可能な非定常性を示す交通渋滞

などなど。こういった扱いづらいものたちを単純に統計学・機械学習の問題として扱ってしまうのではなく、人間が相互作用しあうゲーム理論という視点から眺めてみると見通しがよくなることもあるかな、というのがこの本を読んだ教訓。

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  1. [1] 原著では実際にはヘックスという別のゲームを使って詳細な説明がなされている。